高校生の頃に
私が高校生の頃に姉が渋谷でオートクチュールの原型の様な服飾店(アトリエ)を開いていました
今の麗郷(台湾料理店)の向かい側にです、姉の要望でアルバイトをさせてもらい縫製された服を店まで運ぶ日々です、電車賃を貰っても節約して自分のお小遣いにするために小田急線の千歳船橋駅から渋谷まで行く電車賃をショートカットして小田急線の千歳船橋→代々木八幡駅迄の切符で済ませて差額を毎日のお小遣いにしました、代々木八幡駅を降りて細い道を10分間歩いて今のNHKの横を通って東急本店の横を通って行きます、渋谷センター街アトリエの一寸手前の右側に当時はJAZZ喫茶が在ってそのお店はDUETデュエットというお店です、毎日その喫茶店でJAZZを初めて聴いて感激でした今まではラジオだけが音楽を聴く方法だった私にはいきなり当時の最新のモダンジャズがコーヒー一杯飲む間に何枚も聞けてしまうのですから、それ以前の中学生の頃からハモニカ用の数字譜でラジオのトップトウェンティー(FENの毎週土曜日の20時30分~21時)で20位~~~1位迄の全曲を放送するのを今週はこの曲は何位でとか楽譜を殴り書きで聞きながらリアルタイムで書き記す日々だったのです、
例えてこの曲とか
今考えるとこれはブルースコードの曲だったのです
レッツゴートゥーザホップ
リトルダーリン
その当時のヒット曲ってセレソローサ(ペレス・プラド楽団)
Ⅱm7 Ⅴ7 Ⅰ Ⅵm7 Ⅱm7 Ⅴ7 Ⅰ Ⅰ
とか慕情のテーマ
とかです、音楽の聴く能力と瞬時にメロディーの動き方を耳に残してドレミファ=1234って紙に書きこむのです、最初の8小節がレピートするのを覚えて1度目と2度目の違いを聞き分けてサビのメロディーを書き込みサビ後の8小節を書いて1コーラスって曲の構成まで理解できてとても勉強になりました、その私がその喫茶店で初めてジャズを聴くってもう夢のようでした白いノートと鉛筆を持参で聞こえる音をリアルタイムで書き込んで遊んでいたのです、
ホレス・シルバーのニッカスドリーム
とかを初めて聴いて題名も知らずに白紙に
3・7-6・3・13-3785#7-6・3・12312-121716-5・3・12-23234-3・17-このように書いて興奮していたのです、数日後に学生服姿の私にグレーのストライプのスーツを着た大人の人がその喫茶店で話しかけてきたのです、
<ユー、、毎日此処で紙に数字を書いているけれど何してるんだい?>って、、
<はい、音を聞いて楽譜に書き留めています>
<えーっユーは音を聞くとドレミが解かるのかい?>
<はい>
<俺ねー神田のバーキャレ(キャバレー)でドンバ(バンド)でターギ(ギター)演っている井上ってもんだけどさーユー今日これからうちのセーミ(店)来ないか>
って生まれて初めてキャバレーに連れていかれました。
学生服を着て学校のブラスバンドのビニールのケースに入っているアルトサックスを持ってです
いきなりキャバレーのステージに連れ込まれてしまったのです
この数年間のラジオのヒットパレードを聴いて
殆んどの曲を楽譜化してメモって記憶下に在ってので
洋楽に関しては殆んどの曲を旋律的には知っていたので
キーさえ判れば殆んど吹けました
最初に吹かされたのはベサメムーチョでした、
次から次へと吹いて最初のステージはあっという間に終わって
次のステージも吹いて行かないかって薦められましたが
家に帰りました
^^
なんせ17歳の高校生でしたから。
家に帰ってからプロのバンドの人達とセッションするのは初めてでしたので
興奮してしまい朝まで一睡もできませんでした、
楽しかったです♪
今の麗郷(台湾料理店)の向かい側にです、姉の要望でアルバイトをさせてもらい縫製された服を店まで運ぶ日々です、電車賃を貰っても節約して自分のお小遣いにするために小田急線の千歳船橋駅から渋谷まで行く電車賃をショートカットして小田急線の千歳船橋→代々木八幡駅迄の切符で済ませて差額を毎日のお小遣いにしました、代々木八幡駅を降りて細い道を10分間歩いて今のNHKの横を通って東急本店の横を通って行きます、渋谷センター街アトリエの一寸手前の右側に当時はJAZZ喫茶が在ってそのお店はDUETデュエットというお店です、毎日その喫茶店でJAZZを初めて聴いて感激でした今まではラジオだけが音楽を聴く方法だった私にはいきなり当時の最新のモダンジャズがコーヒー一杯飲む間に何枚も聞けてしまうのですから、それ以前の中学生の頃からハモニカ用の数字譜でラジオのトップトウェンティー(FENの毎週土曜日の20時30分~21時)で20位~~~1位迄の全曲を放送するのを今週はこの曲は何位でとか楽譜を殴り書きで聞きながらリアルタイムで書き記す日々だったのです、
例えてこの曲とか
今考えるとこれはブルースコードの曲だったのです
レッツゴートゥーザホップ
リトルダーリン
その当時のヒット曲ってセレソローサ(ペレス・プラド楽団)
Ⅱm7 Ⅴ7 Ⅰ Ⅵm7 Ⅱm7 Ⅴ7 Ⅰ Ⅰ
とか慕情のテーマ
とかです、音楽の聴く能力と瞬時にメロディーの動き方を耳に残してドレミファ=1234って紙に書きこむのです、最初の8小節がレピートするのを覚えて1度目と2度目の違いを聞き分けてサビのメロディーを書き込みサビ後の8小節を書いて1コーラスって曲の構成まで理解できてとても勉強になりました、その私がその喫茶店で初めてジャズを聴くってもう夢のようでした白いノートと鉛筆を持参で聞こえる音をリアルタイムで書き込んで遊んでいたのです、
ホレス・シルバーのニッカスドリーム
とかを初めて聴いて題名も知らずに白紙に
3・7-6・3・13-3785#7-6・3・12312-121716-5・3・12-23234-3・17-このように書いて興奮していたのです、数日後に学生服姿の私にグレーのストライプのスーツを着た大人の人がその喫茶店で話しかけてきたのです、
<ユー、、毎日此処で紙に数字を書いているけれど何してるんだい?>って、、
<はい、音を聞いて楽譜に書き留めています>
<えーっユーは音を聞くとドレミが解かるのかい?>
<はい>
<俺ねー神田のバーキャレ(キャバレー)でドンバ(バンド)でターギ(ギター)演っている井上ってもんだけどさーユー今日これからうちのセーミ(店)来ないか>
って生まれて初めてキャバレーに連れていかれました。
学生服を着て学校のブラスバンドのビニールのケースに入っているアルトサックスを持ってです
いきなりキャバレーのステージに連れ込まれてしまったのです
この数年間のラジオのヒットパレードを聴いて
殆んどの曲を楽譜化してメモって記憶下に在ってので
洋楽に関しては殆んどの曲を旋律的には知っていたので
キーさえ判れば殆んど吹けました
最初に吹かされたのはベサメムーチョでした、
次から次へと吹いて最初のステージはあっという間に終わって
次のステージも吹いて行かないかって薦められましたが
家に帰りました
^^
なんせ17歳の高校生でしたから。
家に帰ってからプロのバンドの人達とセッションするのは初めてでしたので
興奮してしまい朝まで一睡もできませんでした、
楽しかったです♪
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デュエット